明日から本気出す

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福原正人 (2017) 移民の倫理学をめぐる一試論:国家に個人を排除する道徳的権利はあるのか

義務論的な根拠に基づく移民排除権が成立しうるかを検討した論文です。結論としてはそうした議論は失敗していて、帰結主義的根拠に訴えざるを得ないだろうということです。具体的には①集団の自己決定権に訴える議論②支配権に訴える議論③両者を統合した議論が検討されています。すごく分かりやすく各議論の論理構造と問題点が明らかにされるので、とても良い論文でした。

 

ー移民排除権の主張は、国家の入国管理政策にある程度の(pro tanto)正統性がある、とする議論。移動の自由は、国境間移動に関する道徳的含意を先取しない程度に弱い自由であり、本稿が念頭に置く移民には、移動の自由の観点から行われる経済移民も含まれる。また排除する権利、成員資格に関するアクセスだけでなく領土へのアクセスから排除するという道徳的内容を持つ。本稿では帰結主義的根拠と義務論的根拠のうち、後者の失敗を確認する。(105-106)

①自己決定権(107-108)

ー集団は自己決定の推定的権利を持ち、その自己決定権が備える自律性の範囲内で成員資格を管理する権利が導かれる、または自己決定権が含意する結社の自由によって成員資格を管理する権利が導かれ、移民排除権が根拠づけられる。

⇒短期滞在者については成員条件のルールの観点から道徳的に問題になるとは言えない。成員条件へのアクセスと領土へのアクセスは区別可能であり、前者を排除する権利を持って後者を排除はできない。

ーWellmanの応答:二つのアクセスは区別不可能になる。確かに直接短期の滞在を排除できないが、滞在が長期化したときには民主的平等の観点から成員資格が認められるべきという道徳的直観がある以上、成員条件に関するルールの独立性を守るために、短期の滞在(領土へのアクセス)をも排除することが間接的に正当化される。

⇒検討に値する論拠だが、短期の滞在を認めたときにおこる予見的な影響に訴える点で、義務論的根拠を超えて帰結主義的根拠に基づく。その帰結主義的考慮の真偽に依存する。

 

②支配権(108-111)

ー受け入れ国の領域的支配権に依拠して移民排除権を根拠づける。国家は権利保護を効率的に実現するのに必要な強制力を備えた法的制度で、養成される制度的機能を果たす限りで領土への正統な支配権が認められる(1)。領土に足を踏み入れた移民の存在は、彼らの権利保護に関する新たな責務を発生させることで、受け入れ国の個人が持つ「同意なしで責務を課す他者から自由であるべき推定的権利 a presumptive right to be free from others imposing obligations on us without our consent」を侵害する(2)。そのためこの推定的権利を保護する正統な権能の範囲内で、国家は移民排除権を持つ。移民が存在することそれ自体で、排除権を根拠づけることができるので強力。(Blake)

⇒しかし(2)について、移民だけがこの原理の対象になるとは言えない。「X国生まれの市民Aの存在」も「Y国生まれの経済移民Bの存在」も両方とも、X国に新たな責務を発生させるが、なぜ特別な正当化は移民Bにだけ要求されるのか不明。(Kates & Pevnick)

ーBlakeの応答は、推定的権利が絶対的ではなく複数の自由が衝突する状況で覆されうること、新生児のケースについては親の生殖の自由・身体的自由が当該推定的権利よりもより中心的であることを指摘するもので、移民については他にも権利保護が保障される選択肢があるため、当該推定的権利を覆すほどには中心的ではないと評価しているように思われる。

⇒「X国内にいて、大多数の市民から離脱を望まれる市民A'」と移民Bがいるとき、道徳的直観に照らせば、A'のX国内にとどまって迫害されずに生きる自由は、大多数の市民の先の推定的権利よりも中心的だと考えられるが、なぜ移民BについてはA'と同様の状況(X国の大多数の市民にとって望まない個人であり、同程度の権利保護を期待できる複数の居住地を選べる)にありながら、Bにのみ責務発生の特別な正当化が要求されるのか分からない。(Kates & Pevnick)

ーこの違いを権利保護という普遍的要請から理解された支配権に依拠して説明することはできない。

 

③自己決定権と支配権の議論を接合する戦略(111-112)

ー自己決定権に基づく議論(①)では領土からの排除までを根拠づけることができないという道徳的内容の点で限界があり、支配権に基づく議論(②)では排除する個人と排除される個人の道徳的関係を特定できない点で限界があった。そこで国家の正統性を関係的価値の保全という個別的要請から捉える立場が第三の道として存在し、これを検討する価値がある。(Moore)

ー排除主体の「自国の市民」と排除対象の「他国の市民」は関係的価値の観点から区別される。こうした論証が成功するには、国家の支配権が集団の個別性と結びついている必要があり、例えばMillerの愛着理論はこれにあたる。

⇒有力な路線の一つではあるが、この領有権に関する境界問題はけっこう難しく、ハードルが高い論証。分離独立がほとんどの領域内の集団について認められないことをうまく説明できるのか?

 

<コメント>

ー特に批判はないです。とても説得的かつ分かりやすい。さすがだ!!という気持ち。

ーKates & PevnickのPPA論文は今度読むぞ!これが有名な新生児のテストケースってやつかな?むっちゃえらい指摘だ。

ー当然だけど領有権の議論と結びつくよなあ。自分は完全にYpiのA Permissive Theory of Territorial Rightsを(無批判に)受容しがちなので、領有権関連の方では大体結論が定まってる感はあるのだが、たしかYpiは移民では管理権がある(確か正義の要請から出国も制限可能)という立場だった気がするけどどういう風に接合させるんだろう?ちょっと読んでみよう。

ーそういえばYpiも適当に流し読んで忘れちゃったので読まなきゃ。批判論文とかちゃんと調べたら出てくるかな。そろそろ瀧川=Ypiに対する信仰を相対化する時期に来てるのを自覚しなきゃ。信仰を続けるにしても批判を認知したいですね。