明日から本気出す

日々のお勉強をメモしたいです。明日からは本気出します…。

赤林・児玉ほか (2018) 入門・倫理学①

定番の倫理学の教科書ですが、これまで読んでいなかったので、1章ごとに気になった点を中心にまとめてみようと思います。まずは総論的位置づけの第Ⅰ部からです。

 

1章 倫理学の基礎(児玉聡)

倫理学において時に直観は衝突する。この時メタ直観を用いる問題として①自明性が弱い②直観の人間間比較(私と他人の直観が食い違うこと)の調停が困難③直観の保守性・偏見、がある。⇒直観の理論による体系化・修正が必要。(15)

ー事実と価値の区別:誤った事実判断は価値判断をも誤らせ得るし、価値判断は事実判断のみから導出されるわけではない。また事実判断とされるものに価値観が介入している場合もある。(17-20)

ー倫理的判断の一貫性:二つの事例の間に「道徳的に重要な違い」が見出せないのであれば、これら二つは同様の取り扱いをすべきである。逆に異なる処遇の正当化のためには、道徳的に重要な違いを提示する必要がある。(20-23)

ー倫理における公平な視点:反実仮想的な立場の交換や他者との対話などによりテストされる。道徳的に重要な違いがない限り、同様に処遇せよという原則のコロラリーでもあるし、他者からの受容可能性の要求から導出される原則でもある。(23-24)

 

2章 倫理理論(奈良雅俊)

ー倫理理論は行為の正・不正に関わる行為論(義務論と帰結主義)と行為者の性格の善し悪しに関わる徳論に分かれる。倫理理論は問題の同定、道徳的正当化、直観の再検討の3つの作業を助ける。(27-28)

功利主義帰結主義・厚生主義(福利主義)・総和主義(単純加算主義)・最大化の4要素によって特徴づけられる。帰結主義の直観適合性、一意に道徳的な指示が定まる、反差別性といった長所がある。批判は①効用の個人間比較問題②効用を最大化するとしても不正な行為の存在(拷問)についての直観③非平等主義的性格④個人に対する過大な要求、義務と義務を超える行為(supererogation)の区別が困難、などがある。規則功利主義や二層理論など功利主義内部での理論洗練化によって批判に応答している。(30-35)

ー義務論:非帰結主義的行為論の総称で内部に多様な理論を持つ。道徳規則や原理に適合している時、そしてその時のみ行為は正しい。合理性の概念に依拠した理論。(36)

※合理性???

ーカント倫理学:道徳的に正しい行為は、義務を義務として尊重するという心情からなされた行為であり、単に義務に適っている行為からは区別される(道徳性と適法性の区別)。①定言命法:私の意志の格律が、理性を持つすべての存在が例外なく受け入れられることを、私が意志できるような普遍的法則かどうかのテスト。②人間の尊厳:他者を手段や道具として扱うのではなく、目的として扱っているかどうか。③意志の自律:人は自らの理性の立てた道徳法則にしたがって行為する時のみ自由であるし、そうであるべきである。(37-40)

ー義務の衝突:どのような状況でも従わなければならない「完全義務」とそれほど厳格ではなく従えばその人の功績となる「不完全義務」の区別、自己自身に対する義務と他人に対する義務の区別で、4つのカテゴリーに分類できる。ロスは「一応の義務」というカテゴリーを導入し、これらが衝突した場合は熟慮、反省により重みを比較衡量することで「現実の義務」が決定できるという「多元的直観主義」を支持する。(40-43)

ロールズ「公正としての正義」:反照的均衡により正義原理と熟慮された判断がうまく均衡を保っているか絶えず検証する。(43-44)

ー徳倫理:行為は、有徳な人がその状況に居たらするであろう、有徳な人らしい行為であるとき、かつその時に限り、正しい。ハーストハウスによれば徳は「人間が開花するために必要な性格の特徴」であり、徳として挙げられる性格のリストは多様で時代や分野によっても異なる。行為ではなく、それをする人の性格や態度に注目する。長所としては①帰結主義や義務論が扱えない「義務を超える行為(supererogation)」に位置づけを与え、義務以上のことを指令できる②正しい、悪いだけではなく「勇敢な」「良心的な」といった多様な語彙で行為を記述できる、などがあげられる一方、短所として①徳とみなされる性格の基準が曖昧②相対主義③徳の衝突を解決できない、などが挙げられ、帰結主義や義務論の補足的な位置づけや、より包括的な議論への統合を説く者もいる。(45-47)

 

3章 権利論(蔵田伸雄)

自由権:他者からの干渉を受けず自分のことを自分で自由に決められる権利(≒消極的権利)。社会権:生存や生活に必要な条件の確保を国家に対して要求する権利(≒積極的権利)。(53-55)

ーホーフェルドによる権利概念の分析:請求権・権能・自由・免除

1)Claim:他者に一定の行為を請求できる性質で、請求を受けた客体の側は請求に対応する義務を負う。2)Power:他人の権利・義務関係に影響を与える性質(例えば譲渡によって、私が他人に所有権を生み出す)。3)Liberty:行為の選択にあたり他者からの介入を受けないという性質。4)Immunity:何らかの権利義務関係に自分が置かれることを免除されているという性質。(55-56)

ー利益説:権利を、権利によって保護される利益に同定する立場。選択説:権利を、行為者が何らかの選択を行うことができることだとする立場。(56-57)

功利主義的正当化:効用最大化が基底にあり二次的原理として権利が正当化されるため、常に権利は条件付きかつ暫定的なものになる。/契約論的正当化:社会契約による正当化。/自然法論的正当化:自然法により権利が正当化される。権利基底的な権利論においては、権利の「切り札」としての性質が強調され、個人が社会全体の利益のために犠牲にされない拒否権を持つという「横からの制約」として権利が機能する。(57-59)

ー権利論の問題点①権利概念が曖昧で多義的ゆえに規範性が弱い②権利論単体で権利の衝突を解決できない。(59-60)

ー権利概念をめぐる問題点①パーソン論:権利主体の境界問題。選択説をとると理性的判断能力のない重度障碍者や未来世代などが排除される一方、高度な知的動物にも権利が付与される。利益説を取ると動物も含め広くの受苦主体に権利が付与される。②権利の放棄可能性③何を権利とするかの境界。(60-61)

 

4章 法と道徳(山崎康仕)

自然法論:自然に立脚した普遍の規範が法の善さ・正しさを保障し、また悪法は法ではない。法実証主義:法と道徳は概念上分離されるべきで、法とは実定法のみを指す(実定法一元主義)。(64-65)

ー法・道徳分離論:18世紀の啓蒙主義から自覚的に論じられ始める。自然法論者のトマジウスにおいては、法が外面的行為を規律し外的権力によって強制されうるが、道徳は内面の良心に関わり、外的に強制されないとみなされる(この分離論から教会の異端審問のような権力による内心の統制の批判や世俗社会における君主権力の擁護を引き出す)。同じく自然法論者のカントにおいては、法は行為者の動機に関与せず、行為が外面的に義務の法則に合致していること(合法性 legalität)を求めるのに対し、道徳は行為者の動機が義務法則への尊敬であること(道徳性 moralität)を求める。自然法論と法・道徳分離論は必ずしも対立しない。(65-66)

ー実定法一元主義:18世紀後半以降、何が法であるかを確定する際の基準から道徳や自然法を排除し、明確な基準と形式的手続きによって確認される実定法のみだとする潮流が出現し、19世紀後半のドイツ概念法学につながる。(66-67)

イェリネック:「法は倫理の最小限である」というテーゼで、法が客観的には社会存立・維持の諸条件であり、倫理的諸規範の最低限であること、主観的には社会構成員が要求される最小限の倫理的信条であることを示し、法と道徳の交錯領域の存在やそこでの方と道徳の関係の確定の必要性を顕在化させた。(67)

ー20世紀以降の分離論:ラートブルフは「関心方向」の区別として再評価。ケルゼンは価値相対主義の立場から、法学の任務を没価値的記述に限定させ、実定法一元主義と法・道徳分離論を法実証主義の基本テーゼとして確立させた。(67-68)

ーハート・フラー論争:ハートは①悪法を含んだ方概念の方が研究対象を広く取れ、②悪法への抵抗感を「悪法も法だが、邪悪過ぎて従えない」と分析したほうが、論点が明確化されるとして分離テーゼを支持。フラーは法内在道徳(①一般性②公布③遡及法禁止④内容の明瞭さ⑤論理的な無矛盾⑥不可能な要求の不在⑦朝令暮改の禁止⑧公的機関の行動と法の一致)の必要性を主張するが、ハートはこれらを満たしても邪悪な法はありうると批判。(68-70)

ードゥオーキン:ハードケースでは法解釈において法基底的道徳原理の参照が不可欠で、法体系外にある道徳原理や規範を参照する以上、法実証主義は成り立たない。(70)

ーリーガルモラリズム:ある行為が不道徳であるという理由でそれを法で禁止し、社会道徳や価値を法によって強制しようとする立場。社会道徳は①いかなる社会にも不可欠な道徳原理②特定社会の道徳的確信③特定社会で多数の人に受容されている社会道徳に分類できるが、このうちハートもデヴリンも①を認め、③を認めない点で一致するが、②についてはデヴリンのみ認める。(73-76)

 

 

〇今まで読んでなかったですが、なかなかよくまとまっていて面白いですね。共同体論とか個別事例の興味ないところのメモはけっこう抜いてあります。教科書としての単純化が避けられない部分はありますが、それでいてもよいまとめになってるんじゃないかと思います。ちなみに、法実証主義周辺の論争や出てくる事例における「道徳」の意味はけっこう曖昧な気がしていて、ここはよく整理しながら扱った方が良い気がします。