明日から本気出す

日々のお勉強をメモしたいです。明日からは本気出します…。

Fine and Ypi ed. (2016) Migration in Political Theory②

論文集の要約続きです。とりあえずMiller, Oberman, Stilzの章は軽くは読み終えたので(電車内とかだったのでメモできてない)随時きちんとメモに残したいと思います。いずれもよい論文で、それぞれの結論に同意しない場合も乗り越えなきゃいけない議論を提示できている感じがしますね。まずはMillerからまとめたいと思います。

訳語をまだまだ迷い中なのですが、今回はa right to immigrateを「~に移住する権利」とし、a right to emigrateを「~から移住する権利」と訳し分けることにしてみます。

 

ch2. Is There a Human Right to Immigrate? (David Miller)

ーMillerは、~に移住する人権は存在しないという立場を擁護する。~に移住する人権の意味は、自分の住みたい領域に移り住むことを邪魔されないようすべての国に要求できる普遍的な権利(これは自分の国を出て、どこか適当な一国に入国できれば良いような権利ではなく、自分の選んだどの国にでも入国できる権利)であるが、その地の市民と同じ福祉給付権などを請求できるような完全な市民権を含意しないし、移住することを補助してもらう権利を含意しない。(11-15)

ー~に移住する権利の擁護の3つの方針。1)直接的戦略:人権は人間の基礎的な利益に資するものであり、~に移住する権利もそうした利益を支えるため正当化される。2)道具的戦略:ほかの重要な人権を適切に実現するために必要なものとして、~に移住する権利に道具的な価値を認め、それによって人権としての正当化をする。3)カンチレバー(cantilever)戦略:既に人権として認められているものの論理的延長として、~に移住する権利が人権として認められなければならないとする説。既に人権として認められている権利A(例えば国内における移動の自由)を支持しつつ、権利B(ここでは国外における、~に移住する権利)を支持しないのは恣意的だとする議論。(15-16)

ー道具的戦略は経験的主張に依存するため弱く、第三の戦略も権利Aと権利Bの間にアナロジーが成立しないことや、権利Bを承認することによる悪い帰結を指摘することで応答できる。第一の直接的戦略が最も強力。(16)

 

①直接的戦略と道具的戦略

ー1)充分に強い根拠:~に移住することによる利益は、人間が共有し、人権を支持するだけの道徳的重みがあるものでなければならない。2)実現可能性:その権利によって他者に課される責務が、他者にとって利口可能でなければならない(あらゆる病気から自由である権利、等はないとみなすのが自然)。3)両立可能性:既に承認されているような他者の権利に干渉するようなものであってはならない。あまりにも拡張的な権利は、他者に過大な負担を課してしまうため承認できない。権利のトレードオフを完全に避けることはできないが、なるべく例外的なものとする形で権利概念を理解すべき。

⇒正当化における3つの要請。(16-17)

ー実現可能性の要請は、~に移住する権利を妨害されない消極的権利として定式化している以上問題はなく、根拠の重要性と両立可能性が主題的に問われる。(18)

1)「人がXを保障されていなければ、人にとって重要な何かが失われるため、Xは人権として適格である」という形式によって、Xが人権であることが論じられる。移住には、a)国境を越える移動それ自体とb)移住による環境の変化の側面があるが、前者についてはごく限られた特殊なケースにおいてのみ重要な利益となる(遊牧民など)ので普遍的人権の基礎付けにはならない。後者は、移住によって以前の住環境で得られなかった選択肢を得られるという一般的なケースと、移住によって以前は得られなかった最低限の生活(衣食住の極度の欠乏など)を得られるケースがあるが、ここでの~に移住する権利は道具的な権利として正当化されていることが重要。そのため両立可能性のテストにより、こうした基盤にあるニーズ(~に移住する権利それ自体ではない)を充足するために、他者の自由に干渉する可能性が最も低い手段を選ばねばならない。

⇒単に~に移住する権利が重要な利益にとって道具的に必要というだけではなく、その利益をほかの手段によって提供できないことの論証が必要。(18-19)

ーOberman(3章の論文)は「存在する生の選択肢の全範囲にアクセスする自由があることの利益」によってこれを説明する。外国に住む人と恋をする、外国でしか実践できない宗教を信じる、政治的討論に参加するために必要な情報を外国で得るなど。(19-20)

ーオバーマンの説明では、~に移住する権利が、特定の人間の主観的に強い利益に依存している。このように個別具体的な利益の総和を実現するように要求されると、権利によって課される責務はあまりにも過大になる。高級寿司を食べることが基本的な利益になるような人がいたとして、それを充足するような形で権利を定式化するのはおかしい。法規制により魚の流通量が減ったとして、彼の食への権利が侵害されたことにはならないだろう。この場合食への権利は適度な(adequate)量の栄養ある食へアクセスする権利を意味すると捉えるのが適切。(20)

ー結婚や宗教の場合は代替の充足手段がない点で違うとオバーマンは言うだろうが、そもそも結婚や宗教についてもその充足を他者に支援してもらって実現するところまでは権利によって保障されていなかったし、また人が望む恋の相手や宗教グループから結合を拒絶される恐れもある。確かにこうした利益の実現を国家の国境管理によって妨げられることはこれらと異なるが、この点は後述。ひとまず適度な範囲の選択肢が保障されている限り、人間としての利益は充たされている。(20-22)

ー自国内で適度な範囲の選択肢が保障されない場合:1)こうした利益が自国内で保障されない限りにおいて~に移住する権利を持つが、移住以外の手段を排除してはならない。2)頭脳流出の問題のように残された人々の生活が悪くなる可能性を考慮すべき。3)既に適度な範囲の選択肢を保障している国同士の間での移住する権利には適用できない。⇒~に移住する権利は限られた国について認められるため、そうした選別を行うような入管実践が正当化される。(22-23)

 

カンチレバー戦略

ー国内における移動の自由を認めながら国境を越える移動の自由を認めないのは一貫しない立場である、という議論。(23)

ー前提として国内的な移動の自由も制限された範囲で認められる(所有権や交通規制など)。公の秩序や健康を理由としてさらなる規制は認められうる一方、効率性の観点から人に国内的な移動の自由を認めるのは有益であり、国家はこれ以上移動の自由の範囲を削減する動機も持たない。また国家は移動の自由に関する動機付けをコントロールできる)。(24)

ーそれにもかかわらず国内的な移動の自由が権利として認められるのは、国家が特定の人々の移動を規制しようとするかもしれないという政治的な理由による。ターゲットにされたとき失うだろう他の重要な諸人権を守る道具的なものとして国内的な移動の自由が位置付けられる。(24)

ー国際的な移動の文脈においては、好ましくない状況下では、多くの人が入国を望むことが考えられ、経済その他の利益をコントロールする観点から国境管理が必要になる(これは国内的な文脈においても認められている)。国際的な文脈における規制は、特定の集団を標的にして行われる類の規制ではないことが多いし、また最悪のケース(白豪主義など)においても、排除された集団は、国内的な文脈において移動を規制される場合ほど脆弱な立場に置かれるわけではない。また国内的な移動の自由も、差別的な仕方で規制されていなければ許される以上、国内的な移動の自由を制限する仮想的な事例を引き合いに出しても説得的ではない。(24-27)

ーObermanはどこにいる人とでも結合し、コミュニケーションをとる権利を想定しているが、世界政府がない限りはそのような権利を認める必要はない。他の人権(表現の自由)を支えるものをすべからく権利とみなすとあまりにも拡張的になる。(25-26)

 

③移民規制の理由

1)人口増加による不利益。2)文化的変化。現状でもすでに文化的多様性があるという議論はあるが、言語や政治的価値などについての一定の同質性は見られ、それは信頼を可能にしたり軋轢を減らしたりする道具的な価値や愛着を感じさせるような内在的価値を持つ。また文化は常に流動的という議論も、その変化の理由が内的か外的かという区別や、自発的か強制的かという区別を見逃している。外的に強制される文化的変化が起こりうるというのは移民規制の理由になる。3)政治体の構成を変化させ自己決定の原理に反する。政治体がいかように構成されるかについての自己決定権を、政治体は持つはず。(27-29)

 

結論

ーミラーの立場は移民規制について「人権」に何らの地位を認めないというものではなく、~に移住する普遍的な人権なるものの存在を否定しただけである。代替的な救済手段を欠く場合に、難民が人権に基づいて~に移住する権利を持つことはありうる。(30)

 

 <コメント>

ーミラーって自説は甘々だと思うけど批判はかなり強力よなあと思った。もう少し自己批判もしてほしい。

ーまあオバーマンの方を読んでも思ったけど、生の選択肢の全範囲へのアクセス権って結構しんどい路線に思える。少なくともそれは一応の権利程度で、衝突したときには弱いよねって感じ。

ー一方で、現状の世界の先進国の取っている救貧支援の政策の在り様を前提にした時には、ミラーの立場でも割と先進国は移民受け入れを拒めない位置にあるのでは?という気はする。経済移民も多くは国内での貧困が背景にあるし、それに対する救済をなんら提供できていないとなると、彼らが移民によってその解決を図ることを拒否できない位置にあるよね、という感じはする。まあ現状がクソofクソみたいな認識はかなり前提になっていて意識すらされない論点なのかもしれないけど。

ー「権利」「人権」という言葉で意味すること、その衝突をどの程度認め、衝突をどう調停するかについて、かなり認識のずれを感じる。どこまでを「人権」と呼ぶかは、正直規約的な側面があると思っており、それは大した問題ではないと感じる。オバーマンにとって重要なのは、彼が「人権」と呼ぶものの重みづけ、いかに簡単に覆されうるかであると思っていて、ミラーの批判もそこに刺さっているので、応答を見る必要がある。まあ一方でミラーも自分の側の理由付けが甘いのでそれはダメ。

ー授業始まると予習復習で読む余裕がなくなってしまうので金土日で残りも読み終えなきゃならない…。自分にプレッシャーをかけるためにもやるぞ!!と宣言しておきます(ほとんどだれも見ていないが)。