明日から本気出す

日々のお勉強をメモしたいです。明日からは本気出します…。

Fine and Ypi ed. (2016) Migration in Political Theory⑤

アビザデの論文です。面白いし、きれいな整理。あらしゅあびざで。かわいい。

 

ch6. The Special-Obligations Challenge to More Open Borders (Arash Abizadeh)

コスモポリタン的な見解では、平等な配慮と尊重の理念に基づいてより開放的な国境が正当化される。反貧困と反不平等という性格を持つため、世界的な貧困と不平等を所与とすると国家は貧しい国から裕福な国への移住を妨げることを控えなければならないある程度の制約に服する。対等者としての処遇の理念に基づきながら国境管理を支持するためには、同胞市民の間の特別な責務に訴える必要がある。つまり、移民流入によって国内の貧者の境遇がより悪くなるのであれば、国内の不平等に対する特別な責務を優先させなければならないとする。この主張は3つの規範的主張:1)特別な責務は万人を対等者として扱うことと両立する。2)同胞市民同士は互いに特別な責務を負う。3)同胞市民同士の特別な責務は移民(immigration)が国内の貧しい人を害する時に移民規制を正当化する、と1つの経験的主張:移民は国内の貧しい人を害する、を前提にする。(105-7)

―この章では、最初の二つの規範的主張と経験的主張については成立することと仮定して、第三の規範的主張を批判することで、特別な責務によって移民規制が正当化されるとする立場を批判する。ここで2つのことを問う。1)同胞市民間の特別な責務を根拠づけるような関係性や相互作用の性質や射程。これにはa.同胞市民間の関係性や相互作用には社会的側面がある。b.市民権を構成するような市民的性格がある。c.人に対する権力行使に対して共同で責任を負う政治的関係がある、という3つの答えがある。2)より閉鎖的な国境を支持する議論として、こうした特別な責務を使えるかどうか。それぞれを批判的に検討し、いずれも失敗していることを確認する。(107)

―特別な責務が論証しなければならないこと

1)追加的な特別責務:一般的な義務に追加して特別な責務を負うが、これは一般的な義務よりも特別な責務を優先しろ、ということを含意しない。

2)優先的な特別責務:道具的ではなく、ある関係性が内在的に価値あるという理由で、特別な関係を持つ他者の利益をそれ以外の他者の利益よりも優先して評価する責務であり、不完全な一般的義務を完全なものにする(例えば、一般的な救貧の不完全義務が、特別な関係を持つものに対しては完全義務となる)。親子関係のように追加的・優先的の両方の性質を持つことはあるが、分離可能な性質。(107-8)

―特別な責務に基づく国境管理の支持は、反貧困、反不平等の二つの一般的な義務によるある程度の制約に服していることを前提にすると、優先的な特別責務を擁護できなければならない。(109)

 

①社会的関係:居住

―同胞市民は共同して、1)領域的に限定された互恵的な社会協同のスキームに参加している。2)とくに国家の権力行使に対して脆弱な根本的利益を有している。3)国家とその法による強制に服している。4)領域的に限定された政治社会とその市民が統治下にある濃密な法体系における広範でおよそ平等な利害関係を持つ。これらの理由から同胞市民間で特別な責務を負う。(109)

1)ロールズ主義に一般的な考え。互恵性が特別な責務の優先性を根拠づける。

⇒批判:第一に社会的協働に参加できない生産性のない人や病弱な人を排除してしまう。第二に、互恵的な結果を生むことそれ自体が道徳的義務である場合もある。社会的協働の参加者に平等な配慮をする理由はあるが、その外部の者に平等な配慮をしなくてよい理由にはならないのではないか?一般的な義務を果たして初めて特別責務が生じる。第三に、この見解は追加的な特別義務を正当化しても優先的な特別義務を正当化しない。社会的協働の議論を優先的特別責務と理解してしまうと、移民規制の文脈において彼らは、現在の社会的協働スキームの参加者が既に互恵的関係を気付いているから、そこに参加したがっている他者を強制的に排除してよいと主張していることになり、これは自己利益に訴えているだけで正義や特別な責務に基づく議論とは言えない。(109-10)

―またこの議論は市民的関係ではなく社会的関係に注目するため厳密には、領域内の居住者の間の特別責務が移民規制を正当化する議論に変容している。社会的協働の場合は、その参加者は市民に限られず領域内に住む居住者まで広がる。国家間移動が行われる現状下では市民と居住者を同一視はできない。(111)

2)カレンズは移民規制を正当化する議論として提示していないが、居住によって生まれる社会的紐帯の国家権力に対する脆弱性を皆が共有する点で関係性がある。

⇒これも、非成員でかつ新しい紐帯を求める人の根本的な利益に対して配慮しなくてよい理由付けにならないから、失敗している。(112)

3)強制説(ブレイク):国家による強制は個人の自律を侵害するため、その強制に服する者に対して平等な配慮をし、分配的な不平等を縮減する責務を負うが、それ以外に対しては負わない。

⇒移住者も国境管理という強制に既に服しているため、自壊的な議論。彼らも特別な責務が適用されるべき対象となる。(112-3)

4)平等な利害関係者説:国家の法について平等な利害関係を持つ者同士の間に特別な責務がある。

⇒平等な利害関係を持つ者と居住者が一致するのであれば、この議論は論点先取を犯している。誰が居住者として平等な利害関係を持つべきかの話をしているのに、すでに居住者となっている人同士の関係性を特権化してその他を排除するのは正当化を行っていることにはならない。(113)

 

②市民的関係:市民権

―市民権のカテゴリーに訴えることで特別な関係を論じようとする。市民権は4つ側面を持つ。1)成員資格の法的地位。2)地位に法的に付随する権利。3)市民的責任と徳をもって、市民的、政治的な参加をする事実。4)政治体やその成員との一体化(identification)。(114)

―最初の2つは特別責務の正当化には使えない。あくまで市民権の記述に留まり、そうした性格を今持っているからといって、現状既に市民権を付与されているものの間でだけ特別責務が生ずべき理由を述べていないから。正当化は現状維持バイアスを避けていなければならない。(114)

4)同胞市民間の相互の一体化

⇒批判:1.一体化が重要だとしても、階級を超えてそういった一体化は存在していない。2.一体化は優先的な特別責務にとって必要でも十分でもない。他人の子供により強い一体感を感じる父でもその他人の子に優先的特別責務を負わないし、自分の子に優先的特別責務を負う。(114-5)

3)参加(ネーゲル):同じ国家の臣民で、国家の強制的な政治権力の共同起草者である者同士の間でのみ特別責務が生じる。1.同じ政治制度の強制に服する者であり、2.強制的に課されるシステムの推定的な共同起草者であるが、うち後者の条件は臣民に対される市民としての役割であり、これが居住者と市民とを分ける基準となる。(115)

―マシードの解釈:共同起草者を政治への活発な参加と捉えるもの。

⇒批判:これはすでに政治的権利を奪われた植民地統治下にある人々が特別な責務の対象や政治過程から排除されることを正当化してしまう点で問題含み。(115-6)

ネーゲルの応答:共同起草者をより受動的な意味でとらえる。法遵守という形での参加を含む。植民地の場合は、法遵守という形で、あくまで被治者の名において法が執行される必要があるが、移民法の場合はただ単に強制されるだけで、法を移住者の名の下に執行する必要がなく、正当化を必要としない。

⇒批判:より問題含み。強制的な政治権力の執行が、単なる強制としてなされてしまえば正当化を要しないことになるので、植民地支配も奴隷の支配も簡単に正当化できてしまうことになる。確かに強制・服従の関係は特別責務を発生させるが、政治権力の起草者は特別責務の責任を負う側であり、その強制に服する臣民の側こそ責務の受益者でなければならない。(116-7)

 

③政治的関係:権力の執行

―R. Millerの見解:特別責務を負うのは権力を執行する側であると認知している。ミラーにおいて特別責務は、関係性や相互作用を共有している他者を利用したり搾取したりすることを避ける一般的義務(責任ある仕方で権力を行使する)に基づく。最も恵まれない者が特別責務を負ってもらえる重要な理由が2つある。(117)

1)人を対等者として処遇するためには、彼らを政治権力に服せしめるときに、彼らが国家の法規範をいとわず支持し遵守するのに十分な理由を提供する仕方で権力を行使しなければならない。同胞市民が自発的に支持し、遵守するような条件を備えようと思ったら、不利な立場にある同胞市民に特別な配慮をしてあげる必要がある(これを市民的友情や同胞市民への忠誠の特別責務と呼ぶ)。

2)社会の機会構造は、参加者の誰かに不利益を与えるので、それを補償しなければならない。

3)公共財の自発的受益者が責務の負担者となる特別責務。全員が受益者となる中でもその程度の差があるので、より多く受益する者が、少なく受益する者に特別責務を負う(公正な公共的供給)。

⇒批判:移民規制の正当化になるのか?ミラーも認めている通り法の強制に服する者には長期の居住者も含まれる。1)は、移民規制の強制に服する者もその法に自発的に順守する理由を提供できねばならないが、彼らの貧困や不平等が解決されない限りそれは充たされない。2)は、ミラーも認める通り移民規制によって非居住者が不利益を被っているとき彼らへの補償を必要とする。ミラーは、国家の法が国内において利益を受ける者、不利益を受ける者を決定する力の方が国外に対してよりも相対的に大きいため、国内における特別責務が優先すると述べるが、これは自壊的である。移民規制は、その国内の選択肢へのアクセスをはるかに多くの外国人に対して閉ざすのであり、より重大な利益・不利益の構造を生み出してしまう。3)互恵性の議論への応答と類似。追加的な特別責務しか正当化しないし、誰が互恵的な社会的協働のスキームに入り、排除されるべきかについて何らの正当化をしていない。(117-21)

 

結論

―追加的な特別責務が一般的義務に優越する場合もありえないわけではないが、そのためには特別責務が一般的責務にもまして重要な価値があることの論証と、一般的義務と特別責務とのトレードオフが成立するほど、資源等が欠乏状態にあることを論じなければならずハードルは高い。(121-2)

 

<感想>

ーなんか一応いずれ発表したりするかもしれんし、あんまりゴリゴリにまじめなコメントしない方がいいと言われたので、(そこまで有益なコメントをしていたかはさておき)自分の中にとどめておくことにしました。要約はまあ公共財というか、しばらくは他人の監視下に置いて自分を動機づける意味で継続します。こういうことしないとマジでサボり癖があるので。でも時間もかかってる感じするし、もうちょっと雑にやった方がいいかも。

ーあびざでは個人的に好きかも。考え方がかなり近い気がする。広瀬先生もいるし、マギル大も院進先の候補の一つかな~~(誰かいろいろ教えてほしい)。そんなこと言って英語とかまだまだ全然だめだけど。

ーあびざでの別の論文もいつか読むかー、という気持ちになった。